……だれかがはなす、こえがする。

「ああ、お疲れ様です。どうですか、調子は?」
「別に疲れてなんてないわ、調子も悪くないし。……そもそも、あなた誰だったかしら?」

 しゃべっているのは、めのまえの、おんなのこ。はなしあいては、どこにいるのだろう。

「ああ、思い出せないならそれで結構。私は私の名前があまり好きでは無いのです」
「あらそう、それは可哀想ね。同情、欲しい?」

 かおをうごかせば、そのひともみえる、かもしれない。でも、ぼくは、このおんなのこから、めをうごかせない。

「いいえ、結構ですよ。……ふむ、どうやら首尾は上々と見える。流石流石、こういうことをさせるなら話が早い」
「私はあなたみたいに悪趣味じゃないもの、やるべきことはさっさと終わらせるわ。後はそこの子だけなんだけど」

 おんなのこが、ぼくをみる。あかいおめめ、あかいおようふく、あかいおてて。あかいおへやで、くるりとまわる。

「おや、私のことを思い出しましたので?」
「さあ、どうかしら。あなたは趣味が悪くて気持ちが悪かった気がしたのよ、なんとなく。……ああ。そう言えば私、あなたのこと嫌いだったわ」

 おにんぎょうみたいに、きれいなおかお。きれいなあしが、あかくそまって、あかいそれをふみつける。

「おや、そうなのですか? 私はあなたのことを気に入っているのですが。結局の所、私と君は同じモノだ。理解しあえると思うのですがねえ、私達は」
「『理解し合うためには、お互い似ていなくてはならない。しかし愛し合うためには、少しばかり違っていなくてはならない』、だそうよ。あなたの片思いは成就しそうも無いわね」

 おかあさんだったそれは、きたないおとをたてて、くだけて、ひしゃげて、あかく、あかく、おとうさんだ、ったそれとお、なじように、きたない、きたないおと、たてて、ぐちゃり、びちゃ、びちゃ、

「ふむ、それは残念ですね。ああ、実らない恋とはかくも胸を締め付けるのか……」
「それがにやけながら口に出す台詞? そういうふざけた所も嫌いなのよ。……無駄話はこれでおしまい? 私、もう仕事に戻らないといけないのだけれど」

 まどがあかい、かべがあかい、ゆかがあかい、だんろがあかい、そふぁーがあかい、おにんぎょうがあかい、おとうさんがあかい、おかあさんがあかい、おんなのこがあかい、あかい、あかい、あかい、あかい、あかい、あかい、あかい、あかい、

「そうそう、それなんですが。予定を変更する運びとなりました」
「はあ? 何よ、子供だからって見逃すの? 確かに、これだけ小さかったらどうにも仕様が無いけれど」

 あかくないのは、たった、ぼくだけ、ぼくだけ、ぼくだけ、のこして、みんな、かわって、しまっ、た、

「そうなのですよ、まだ幼さが過ぎるからどうにもしようが無い。ですから、しかるべき場所でしかるべき――」
「はぁ…… やっぱり、あなたとは趣味が合わないわ。いくら今使えないからって――」

 みみに、はいる、おと、あかい、あかいめ、てが、ぼく、ちかい、ひっぱって、いた、い、あか、あかい、

「―――うので、つ――――の目的、それに―――――――――――」
「そんなものは――――――、――――に捧げ――――。―――に至る過程が―――――――――」

 いたいあかいたいあかいちがうそだたすけやだやおかあかいあかいあちゃんたいたいあかいいたいすけてうそこんなあかいあかいいたいいたいのユメあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいこんなのはいたいいたいいたいいたいいたいいたいユメこんなわるいわるいわるいわるいわるいわるいわるいわるいユメごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさユメユメユメユメユメユメユメユメユメユメユメユメユメユメユメユメユメユメユメユ

「――――――――――」
「――――――――――――――――」

 ああ、この、わるい、ゆめは、こんなに、も、あかい――

 

 

 


 今日は朝からずっと曇り空だった。陽光は不十分で、目に映る景観も色褪せるような感覚がある。外を歩くならば快晴の空がいい、日の光は心と体を健全に保つ。いっそ雨だったならばそれも良かった、しとしとと振る雨の音色は心が落ち着く。こう、なんとも表現しにくい微妙な天気というのは、どうにも俺には性に合わない。
 小説なんかでは人物の心象を風景の移り変わりで表現するというけれど、なるほど全く、今の俺の心は曇天の道だ。
「……え? カグラって、あの変わった洋服着た人?」
「ああ、見かけてないか? 少し詰問したいことがあってな」
 何しろ問題は山積みだ。その一つ目は、あのウィキットって野郎。

 ・結局、奴のその後の足取りは掴めていない。
 ・奴に浚われた女性は命に別状は無いものの、未だ目を覚まさず。
 ・どうやらカグラと関係があるようだ。知り合い、もしくは一方的な関知。詳細は不明

 歴史学者の団体から索敵や探知の魔法に長ける人員を投入してもその足を追えなかったのだから、今更普通に奴を追いかけようとするのは全くの無駄足だろう。
 女性の方は街道沿いの一番大きな病院に入院しているし、常に自警団の監視があると聞いたから当分は大丈夫だろう。目を覚ますまでの間待っていればいい。
 つまり、奴の行方を追うならばカグラと接触するのが、今の所最も可能性が高い。
「ええっと、レヴィナスに助けてもらったあの日に会って、それ以降は知らないかな……」
 だが、こちらもまた茨の道だ。あちらこちらを放浪するあの怪しい商人の行き先など誰も知らないし、次にベイラスにやってくるのが何時かもさっぱりだ。
「ごめんね、役に立てなくて……」
「ん、別に気にすんなよ。あいつの現在地に関しては、どんだけ調べても無意味ってのは分かってたから」
 焦っても仕方ない、時期が来た時に出来ることをすればいい。
 だからまずは、今出来ることが最優先だ。
「あいつのことはついででさ、本題はこっから。レイナさ、最近噂の『幽霊』について何か知ってるか?」
「幽霊……、もしかして、西地区のあれかな?」
「それで間違いねーだろうな。今回の依頼でさ、『幽霊が出たからなんとかしてくれ』だと」
 二つ目の問題、それが幽霊調査だ。正直俺達とは相性のよろしくない仕事なのだが、適任の人が現在手が離せない状態らしい。その為、初動調査は俺達がやり、その後適当な人に引継ぎを行う手筈となっている。
「私はあまりあっちには行かないんだけど、皆が噂してるから知ってるよ。……うん、だからレヴィナスが知っている情報以上のことは言えないと思う。深夜になると泣いたり叫んだりする声が聞こえて、不審がってその声の出ている場所に向かうと、そこには白くて薄ぼんやりとした人みたいなモノがいるんだって。それが、3つも」
「誰かに危害を加えるわけでも無く、近づくとそれは霧散する。そんなモノを既に何人もが目撃している、ってことだな?」
「間違いないよ、噂されているのはそんな話」
 そうかやっぱり、などと頷いて思案すること数秒、レヴィナスはレイナが自分の顔をじっと見つめていることに気が付いた。また、その視線が普段と異なることにも。
「……ん、何だよ。俺の顔、どっか変?」
「あ、ううん、そうじゃなくて。レヴィナスはすごいんだなあって、改めて思っちゃって」
 不意打ちで放たれたそんな言葉に、レヴィナスは思わず硬直する。
「な、なあ……、何、言いいやがんだよ急に……」
 その輝く視線は、あの遺跡の中で感じた物と同じだった。レイナは羨望の眼差しをもってレヴィナスに向けて微笑んでいる。
「昨日もウィキットっていう怖い指名手配の人と戦ったんでしょ? すっごい大変だったはずなのに、それでも今日もこうして頑張って働いてるもの。皆言ってるんだよ、レヴィナスとリドはとても働き者でいい子だって」
「……そんなの、別に、どーってことねーし。いい子とかでもねーよ、仕事で金もらってやってんだから」
 その純粋すぎる瞳と言葉に耐えられず、レヴィナスは顔を背ける。腕を所在無さげに組んだり離したり腰に当てがったりするその様は実に落ち着きが無い。
「それでも、私はいつも思ってるんだよ。二人とも本当にかっこいいなって!」
「……!」
「? どうしたの、急にそっち向いたりして。……あれ、そう言えばリドは……」
 どこ、と言おうとして、レイナのその口は止まってしまった。レヴィナスはあんまりにも恥ずかしくてレイナに背中を向けてしまったというだけなのだが、そうやって後ろを向いたその先には、
「だーかーらー! 7個入りなんだったらオレが4個、お前が3個だろ! なんてったって体の大きさが違うんだからな!」
「そんなのずるい、ずるい! おれだってよっつたべたい! たーべーたーいー!!」
 往来の人達から好奇の視線を浴びながら喧嘩する、子供と少年の姿。
「えっと、リドくんと、あともう一人は……」
 レヴィナスは思わず頭を抱えた。心の曇天に更に紺色の雲が雷雨を伴って覆いかぶさったような、そんな気分。
「なんだよー、ばーか! レクのばーかー!!」
「はんっ、なんだ知らないのかよ! この世界ではな、バカって言った奴の方がバカなんだよ! やーいやーい、リドのバーカ!!」
「うーうー、うーうーうー!!」
 開いた口は塞がらないし、なんだか頭が重い。えーっと、まずフライドポテトを分けるくらいで喧嘩するのはおかしい、分けるなら1個を半分にして3.5個にすりゃいいし、幼いリドと同レベルで喧嘩するあいつもあいつだし、その喧嘩の内容もあんまりに下らないし、そうだ、何もかもが下らない。
「レヴィー、レーナー! ひどいんだ、レクがひどいー!」
「あ、おい! なんでチクるような真似するんだ、ひどいぞ!」
 走りこんできたリドを体で受け止めて、そこにレクも走ってきて、ああもう、こっちくんな。
「ああもう、こっちくんな」
「ひでぇ!」
「レヴィにひっつくなー! ばかー!」
 リドが抱きつこうとしてくるレクの腹に一発御見舞し、俺は素早く奴に電流を流す。「あぴゃー!」とか訳の分からない悲鳴を上げて倒れるレクを確認して、ああ疲れた。
「ぶすぶすぶす…… そんな本気でやらなくても……」
「無詠唱の術式の威力なんて大したことねーだろ。本気でやって欲しいなら、殺ってやってもいいんだぜ? ん?」
「いや、止めてください、ほんと、まじで! それね、「やる」のルビがおかしいからね、ね!?」
「……あの、この前あそこで悪い人達をやっつけてくれた方ですよね? その節はありがとうございました」
 そんな所に、何故かレイナが割り込んできた。先日のあれに、丁寧に礼を述べる。
「え? ……ああ、ああ! なんだ気にするなよ、あの位大したこと無いし!」
「そんなこと無いですよ。あんなに大きな人達を思いっきり吹き飛ばして、あんなことどうして出来るのかしら?」「まあ、その辺は弛まぬ日々の鍛錬の成果とでも言うのかな……」
 そのまま盛り上がる二人。調子に乗って自慢話をしだすレクと、そんな自画自賛の一つ一つに驚嘆するレイナ。
「……う? レヴィ、げんきない?」
「別に。……どうせ俺の使う魔術には、あんまり派手さはねーけどよ」
「どうしたんだよレヴィナス、なんか恨めしそうにこっち見てるけど……。あ、もしかして、嫉妬してるのか!? 俺に!?」
「うるさいくたばれ」
「ひでぇ!」
 再びレヴィナスは頭を抱え、大きく溜息を吐くのだった。

 

「んで、もう聞き込みも終わりか? ホントに全然やること無いのな」
「だから別に付いて来なくていいって言っただろ。やはりと言うか、今回の幽霊とやらは本当の超常現象だ。俺達の出る幕はねーよ」
 フライドポテトをもう一つ買って、それを摘みながら帰路を辿る。油がよく切られていない屋台のポテトは、安っぽくはあるものの小腹を満たすには丁度良い。
「え、なんで? 魔術ってやつでバァア!っと片付けられないのか?」
「悪ィが、これは魔術師の分野じゃない。呪術師に頼まないとな」
「じゅじゅつ?」
「? 魔術と呪術って、違うものなのか?」
「まあ普通は分からねーよな。どっちも一般の世界とは掛け離れたもの、という意味で一致してるし。歩きながらでいいや、一応聞いとけ」
 油ぎった袋を適当にポケットにつっこみ、手を服で拭きながら話し始める。
「まず、幽霊は魔術で作成できるか否か。結論から言うならば、答えはNOだ」
「え、そうなのか?」
「正確に言うなら、『幽霊っぽいもの』なら作れる。だけどそれは、一般的に言われる幽霊のような『透けてて人の形をしてて足が無くて』といった外見だけの特徴を一つ一つ詰め込んだ幻覚に過ぎない。レク、外見以外で幽霊の特徴挙げてみろ」
「えーっと、そうだな……、死んだ人間の魂が、そのまんまカタチになったもの?」
「そうなるな。体が死んでも魂が死なず、死ななかった魂がそのまま現世に留まったのを幽霊って言う。魔術で幽霊を作れないのは、魔術で魂を作れないからだ」
 魔術とは、ものすごく大雑把かつ簡単に言ってしまうならば、数学の計算式に近い。
 例えば「6」という答えを出したいとする。この時は『(式)=6』という関係が成り立ち、魔術師はこの左側の式を埋めればいい。
 それは『2×3=6』でも『1+2+3=6』でも『1+2×2+1=6』でも、更には『(α+2)~2−10=6 ※ただし、αは2とする』なんて無茶苦茶なものでも構わない。解答さえ正確で明確であれば、その過程となる計算は術者の自由だ。
 この計算式を詠唱式に置き換えて考える。答え、つまり行使する魔術の効果が同じであっても、その途中過程の詠唱文は術者によって完全に異なる。
 詠唱は外界のマナを内界、つまり自分の体に取り入れる為の契約事項を述べる為のもの。契約内容が変われば、流れ込むマナの性質や強弱も変わる。だからこそ、自分にとって最低限のルールを守り、明確な解答を設定した上で、術者と最も相性の良い式を探す。それこそが魔術を習得する上で一番重要なのだ。
 だからこそ、魔術で魂は作れない。そんな曖昧であやふやな物を答に据えては、満足な計算式を作れないからだ。
「「ふーん」」
 分かっているんだかいないんだか、なんとも微妙な声で返す二人。
「……いいけどよ、別に。理解してもらえんのを期待したわけじゃねーし。ただ、さっき見に行った西区には魔術の気配は無かったから。目撃されている幽霊とやらはきっと魔術による幻覚じゃねーな」
「いや、分かってるって多分。んで、呪術の方は?」
「ああ、そっちはな――」
 続きを言い出すレヴィナスの声は、大気を揺らす轟音に掻き消された。
「な、何だ!?」
 続けて男達の悲鳴、絶叫。
 とっさに音の響いた方を見やると、その路地裏から出て来たのは一人の少年だ。
「…………」
 しかし、レヴィナスは思わず息を飲む。その姿は、余りにも異様だった。
 服も何も着ておらず、ボロ布一枚を纏うだけ。だが彼がスラムに住む乞食なのかと言えば、そうではないだろう。髪は癖ッ毛なのだろうか綺麗に洗ってあるし、布一枚では隠し切れない肌にも殆ど汚れは見られない。
 そして何よりも異質なのは、体中に直接紐で結わえ巻きつけられた人形達。10程もあるそれらは布に綿を詰めて作られた所謂ぬいぐるみで、人の形を模して製作されたのだろう、髪や顔なども割りとしっかり作りこまれている。
 そして、その人形達の全てが、少年と同じ瞳をしている。その全てが、死んでいる。
 感情の無い目。2つの目と、20の目。その中には何も無い、在るのは『無い』というその事実だけ。
 少年はすぐ側にいたレヴィナス達のことなど目もくれず、覚束無い足取りでふらふらと街道へと消えていく。その不気味さに三人が三人とも目を取られていると、
「うわ、なんだよこれ……」
「誰だよ、こんな街中でひっでぇなぁ」
 彼が出てきた路地から聞こえてくる、通行人達の騒ぐ声。

「……なんだ、こりゃ」
 レクがそう呟くのも無理はないだろう。
 バケツやゴミが派手に壊れて散らかって、その上に屈強な男が三人揃って倒れている。息はあり、眼球運動も問題ない。おそらく気絶しているだけだ。
 だが、レクには彼らを吹き飛ばす原因が分からない。地面を抉った爆発の跡、男達の体や衣服には火傷の跡もあるから、普通に考えるならば火薬や爆弾に因るもの。しかし何故だろう、彼らからもこの周辺からも、火薬の匂いなんて一つもしないのだ。
「なあ、レヴィナス。これって魔術で吹き飛ばしたのかな?」
「…………」
 レクが見物人達に混じってきょろきょろと周囲を観察している間、レヴィナスはといえばずっとしゃがんで何かを見つめている。
 それは、人形だった。薄暗い空の下、虚無という存在のみをを湛えた瞳。
「わ、このにんぎょう、ばらばらだ」
 そう、しかしそれは、体がバラバラに引き裂かれている。まるで何かが内側から破裂したように。
「……リド、さっきのガキを追いかけろ。気づかれないように、こっそりとだ」
「う? お、おうっ!」
 路地から街道へと駆けていくリド。それを眺めるリクの表情は、実に不思議そうだ。
「おい、ボサっとしてんなよ。俺達も行くぞ」
「は? え、え?」
 レヴィナスはレクの手を引いて歩きだす。レクも訳も分からないままに付いていく。
 街道を跨ぎ、小さな商店街を抜け、住宅の密集地を越え、やがては最西のスラム地帯へと。
「リドの体内魔力の在り方はかなり特徴的だから、俺のヘタクソな『探知』魔術でも簡単に追えるな。見失う心配はねーからゆっくり行くぞ、バレるのだけは避ける」
「一体なんで、どういうことなんだ? さっきの子供を追ってるのかよ、どうして?」
「簡単な話だろ、さっきの路地の爆発は呪術に因るものだ」
「は?」
「んで、幽霊なんてものは呪術師の仕業だと決まっている」
「…はあ?」
「そんでもって、あのガキは呪術師だ」
「……はぁああ!?」
 魔術はあくまで理論と原理に基づく技術に過ぎない。使用者によってある程度のある程度のアレンジはあるものの、『大気中のマナを体内に取り込むことで世界に働きかけ、その在り方の極一部を組み替える』というその根本は変わらない。だからこそ魔術は体系が整然と成り立ち、魔術を教える学校や教本というものも問題無く存在する。物理学、経済学といったものと並列して、魔術という学問は位置している。
 過程があるからこそ結果があり、結果を導く為に過程を試行錯誤する。魔術師とは結局のところ、学者や科学者と何も変わらない。世界の、真理のうちの僅かしか知り得ず、そこから導きだした欠片ほどしかない原理に沿って研究を進め、まだ見ぬ未知の領域へと足を進める。そんな途方も無い旅の途中で得られる技術が炎を出したり雷を呼んだりとかそういうもので、そんなものは副次的なものに過ぎないのだ。
 魔術師とは真理の探求者。炎や風を使ってみたい、などという理由で魔術をかじるものも少なくは無いが、そういった輩が所謂「魔術」を習得するなどというのは到底不可能なことなのだ。何しろ求める目的からして誤っているのだから。
 一方で、呪術は魔術とは根本からして違う。魔術が明瞭な理論と原理を拠り所とするならば、呪術が拠り所とするのは曖昧であやふやな『人の心』という概念だ。
 言うならばそれは、人の願望を叶える力。喜怒哀楽、『こうしたい』『こうありたい』をそのまま形にする。
 本来ならば、こういった力は人間の誰しもが具備している。前向きな力は人を成長させるし、後向きな心の持ち様で人は動けなくなってしまう。全ての行動の根底にあり原動力、それが人の心。感情というそれだ。
 しかし極々稀に、その力が強すぎる人間も存在する。
 誰かをいとおしいと想うだけで誰かを癒し、誰かを憎いと思うだけで誰かを傷つける。そこには理論も原理も無い、常人には理解の及ばぬ神秘の体現。
「人の盲信や妄信が神を創造することがあるだろ、それと同じことだ。何千何万もの人の心が一致する、それだけで摂理も真理をも捻じ曲げる。それをたった一人で成し得てしまうのが呪術師さ。『呪う』なんて言葉が使われているから勘違いされがちだが、それは『のろう』だけでなく『まじなう』とも読めるんだぜ? 知識も努力も必要無い、感情の如何次第で治療も破壊も全てが思うがまま。それが呪術なんだよ」
「はあ……。爆発の方は分かったけど、じゃあ、幽霊の方は?」
「魂やら幽霊やらは呪術の十八番だろ。なんせ呪術自体があやふやで訳の分からないものだ、そういったあやふやで訳の分からないものだって具現できるし浄化もできる」
「ふーん、なんか意外だな。呪術って言うともっとこう、わら人形に釘を打つ〜みたいなの想像するんだけど」
「いや、そのイメージは正解だぜ。感情なんてものは簡単に制御できるもんじゃねーから、精神統一の為にそういった物体を使うことは多いらしい。その場合、藁人形を憎い相手に見立てて呪う対象を明瞭にして、釘を打つっつー行為で呪いの質を正確にしているんだな。あのガキだって人形を持ってただろ?」
「ああ、そう言えばあの路地に落ちてたっけ」
「そういうことだ。あそこには魔術の気配なんて無かったからな。だけど、爆発を引き起こせる程の呪術を使える人間なんてそうはいない。相手を恨んだだけで爆発させる人間がいくつもいたら、社会なんて成り立つはずがねーしな」
「ふむ、やっとこさ理解できたぜ。つまり、今回の幽霊事件の原因はあいつってことか!」
「おそらくな。仮に違ったとしても、なんらかの形で関わりを持っているはずだ」
 周囲の様子は、活気に満ちた街道からはすっかり変わってしまっている。木で出来た建物なんて上等、藁の家なども多く並び、その全てが汚くかつ朽ちかけている。
 ベイラスの町は現在急速な発展を遂げているのだが、その弊害として存在しているのが町の最西に位置するスラムだろう。
 冒険者ドリームを夢見てやってきた冒険者、新たな商売先を開拓しようとやってきた商人。そんな彼らが見知らぬ地で仕事や事業に失敗し、それを保証する国の政策も行き届いてないとなれば、そういった人間達の行き着く果ては、こうして同じ境遇の者達で寄り添って徒党を組むより他は無い。
 そうして生まれたのがスラム街だ。街道から外れた影で身を寄せ合い、悪党達は悪党達のルールを作った。ベイラスの一応のトップは自警団なのだが、スラムにおいては盗賊達を管理し取り締まる盗賊ギルドが先頭に立っている。表の世界で敗れた者は裏の世界へ、裏の世界には裏の世界の掟が。それすら破る、それにすら敗れる者に訪れる運命は、のたれ死ぬか殺されるかの二択だけ。
 そんなベイラスの暗部に、今二人は足を踏み入れている。レヴィナスが予め『隠蔽』魔術を行使していなければ、狩場に足を踏み入れたカモを狙うハイエナ達をあしらうのに大きな苦労と時間をかけたことだろう。
「レヴィ、レク、こっち!」
 ゴミ箱の中に身を隠していたリドと合流する。
「このいえに、はいってったぞ!」
「そうか、さんきゅ。よし、入るか」
「いや、入るかーって気軽に言うけどさ……」
「なんだよ、言葉を濁すな。はっきり言えよ」
「え、だってここ、その、……えっちなお店、っぽいぞ?」
 今にも崩れ落ちそうなほど老朽化した二階建ての木造建築が、そこにはあった。窓はひび割れて壁にも穴が開いているのだから、中の声など全て筒抜けだ。女の嬌声、男の荒ぶる息遣い、粘液が絡み跳ねる音。そんな淫猥な音が、雰囲気が、レクにとって圧倒的な存在となって立ち塞がる。
「んなこと言ってる場合かよ? 別にエロいこと目的で来たんじゃねーし、堂々としてりゃいいだろ」
「いや、そうじゃなくてー……」
「う? レヴィ、えっちなおみせ、ってなんだ?」
「お前は知らなくていい。そんじゃ二人で行くか、リド。レクは行きたくないらしいからな」
「うー、おうー!」
「待てよっ、分かった、行くから! だから置いてくなってば!」




 前・第二話後編へ  次・第三話後編へ  戻る

inserted by FC2 system